ポティダイアの戦い

アテナイを中心とするデロス同盟とスパルタを中心とするペロポネソス同盟との間に発生した、古代ギリシア世界全域を巻き込んだ戦争である。ギリシア北部にあるコリントス人の植民市ポテイダイアがアテナイ武装解除要求を拒否してデロス同盟からの脱退とペロポネソス同盟による保護と加盟を求めた事に関して、アテナイが軍を派遣して包囲、一部のコリントス人が個人的に救援した(ポティダイアの戦い)。これらの事件により、アテナイコリントスと対立する事になる。

共和制政権のもとでは、ペロポネソス戦争敗戦の原因となったアルキビアデスや、三十人政権の指導者のクリティアスらが弟子であったことから、ソクラテスアリストパネスらによって糾弾され、公開裁判[1]にかけられて刑死した[2]。紀元前401年の同時期、アケメネス朝ペルシアではアルタクセルクセス2世と小キュロスの間で後継者争いのクナクサの戦いが起こった。この戦いに参加したクセノポンは『アナバシス』を記した。

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